博士人材をどう捉え、活用していくべきか。中央大学の田口教授にインタビューし、アカデミアの立場から、博士号取得者をはじめとする高度専門人材の価値や、企業で力を発揮できるフィールドについて伺いました。

田口 善弘(Yoshihiro Taguchi)
中央大学 理工学部物理学科 教授
日本企業はもっと博士号取得者を採用して、先端的な知識や専門外の知見を活用すべき

── 田口教授は、最近、SNSなどで「日本企業はもっと博士号取得者を採用すべきだ」と盛んに発言されています。今までの日本企業の典型的な捉え方だと「博士号取得者は専門性が高いゆえに活躍の場が限られる」というイメージがあります。
田口「ひるね姫」というアニメがあります。主人公の声を人気女優の高畑充希が当てたことばかり注目を浴びてしまった2017年劇場公開の作品ですが、実は自動運転の話なんです。高畑充希が声を当てた主人公の母親は、日本の巨大自動車産業の創業社長の一人娘。将来を嘱望されてアメリカに留学し、帰ってきて父の会社に入社、「これからは自動運転だ」と提言します。でも、父親はこう言う。「ハード屋がソフト屋に頭を下げるようになったらおしまいだ」、と。そして愛想をつかした娘に縁を切られてしまいます。アニメ自体はこの母が残した自動運転プログラムをめぐる確執の話なんです。
── 今の話と博士号取得者の採用とは、どう関係するのでしょうか?
田口私は会社にいたことがないのでわかりませんが、似た状況はいろいろなところで起きているのではないでしょうか。主人公の母が留学した先はカーネギーメロン大学という設定で、計算機科学で有名です。父親からしたら、娘が変なものにかぶれて帰って来た、計算機科学しか知らない奴に車の何がわかるんだ、と。
ですが今、実際に車は「モーターのついたスマホになる」と言われています。日本が得意とされていた精密加工だけでは、もはややっていけない。自動車産業と計算機科学は、少し前までは水と油の関係だったかもしれませんが、そういう専門外の知見を取り入れることが世界的には重要になっていくと思います。
── オープンイノベーションとも通じる話かも知れませんね。それで、博士号取得者が重要になると。
田口日本企業が「博士号取得者は専門性が高すぎて活躍の場が少ない」と言うとき、それは活躍のさせ方を知らないから、車の自動運転という未来が見えてないから、なのかもしれない。実際、私が外から見る限りでは、中国や欧米の企業は博士号取得者を盛んに採用して業績を上げているように見えます。中国や欧米の企業にできて、日本企業にできない、ということはないのではないでしょうか。
── ですが、単純に海外の真似をすれば良い、というものではないのではないでしょうか?
田口それはその通りです。ですが、実際、これも外から見た感想でしかありませんが、この20年、決して日本企業は海外企業を上回る成長や新しい価値の提供ができていないのではないでしょうか。一方で、日本企業であっても海外の経営者を招いて業績を上げた例もあるので、日本という環境が悪い訳でもない。やり方を変えればいい面もあると思います。中国や欧米の企業で博士号を持っている社員が活躍できているなら、日本企業も試してみるべきでしょう。
博士人材の価値は「0から1を創り出す」

── 博士人材についてよく言われるのが、専門とする研究分野と業務内容が一致しないと採用しにくいという話です。博士号取得者の価値は、どのような点にあるとお考えでしょうか。
田口博士号取得者の価値は、狭い専門に限るものではないと思います。研究とは「0から1」を創る作業です。海外ではGAFAのような今までは無かった業態で、それこそ「0から」新しい価値を創り上げることで大きな利益を上げてきていると思います。日本企業にはそういった部分が足りないのではと思います。冒頭のひるね姫の話も、フィクションではありますが、自動車と情報科学という異質なものが出会って、ケミストリーを起こすところに新しい産業の芽があるのだと思います。日本企業はそういうところが得意ではないように見えますが、博士号取得者の価値はまさに新しい価値を創り上げる部分にあると思います。
── それでは、専門外の博士号取得者を採用するとき、どんな点に期待もしくは注目すれば良いとお考えですか?
田口やはり、どれくらい研究をしっかりと行っているかということだと思います。分野にもよりますが、国際会議の発表なのか、論文なのか。しっかりアウトプットを出せる人はどこに行っても活躍できると思います。あとは、就職後にどういう仕事ができるのかはっきり説明して、納得できる人を採用する。ここで「どういう仕事」というのは研究テーマを特定するという意味ではなく、開発なのか、研究なのか、設計なのか、あるいは営業にも関わってほしいのか、といった、要するにキャリアプランのことです。従来型のメンバーシップ型採用の感覚で博士号取得者を採用すると、お互いに不幸なことしか起きないと思います。私は機械学習やバイオインフォマティクス関連の企業の方と話す機会もあるのですが、私が物理学科の教授だとわかると、理論物理の博士号を持っている人は社内で活躍している人材だと言っていただくことは多いです。恐らく、専門外の博士号取得者であっても、本人のキャリアプランが企業の提供する業務機会とマッチすることで活躍でき、また評価されているのだと思います。博士号を取得した人が得意で、かつ興味があるのは「0から1を創り出す」ような業務です。そのような業務で利益を出せるような業態が増えたり、また日本企業の構造がそのように変わっていったりしてほしいですね。
── 博士号取得者に共通の資質・スキルはどのようなものだとお考えですか?
田口先ほどの内容とやや被ってしまいますが、やはり「0から1を創り出す能力」です。改良とか改善とかには必ずしも向いていないと思いますし、本人も興味も持てないかもしれません。日本企業は改善や改良が得意な印象があるのでそのあたりがミスマッチの原因なのかもしれませんね。知的探求心をもとに何かをとことん掘り下げたい、という想いと覚悟を持った人が博士課程に進みます。この覚悟は相当なものです。そのような人が新しい価値を生み出す仕事としっかりと向き合えたとき大きな力となり、最も力が発揮されるのではないでしょうか。
「世界で初めて」を探す博士人材が企業で活躍できるロールモデルを

── 日本では博士課程に進学する学生が減っていると言われています。問題はどのような点だとお考えですか?
田口それも部分的には、日本企業が博士号所得者を採用してくれないことに関係していると思います。博士号取得者を全てアカデミアで受け入れている先進国はなく、多くは企業に就職します。日本ではこの進路が少ないので、その影響で博士号を取る価値が下がってしまい、博士課程進学者が減っているという面もあります。日本企業が博士号取得者を採用してくれれば、博士課程進学者も増えて、日本企業も業績が上がっていく。そういう明るい未来もあるのではないでしょうか?
── それでは、どのような方が博士課程に進むべきだとお考えですか?また博士課程で研究をすることの醍醐味について教えてください。
田口現在は、博士課程進学者はアカデミアに残りたいという人が多く、企業に就職したい人はみな学部卒や修士卒で就職してしまいます。そうではなく、企業に行きたい人も知的探求心をもとに博士課程に進学して専門知識を身に着け、企業側も博士課程を修了した高度な人材を採用するようになってほしいです。大学院での研究の面白さは、どんな小さなことでも「世界で初めて」を探すことです。誰かがやったことを再現しても論文は書けないし、博士号は取れない。要するにオリジナリティの追究です。大学院は自分で決めた分野をとことん掘り下げ、新しい価値を生み出すことができる場所だと思いますし、企業に就職するか否かにかかわらず、そのような興味を持った人が積極的に博士課程に進むようになってほしいと思います。
── アカデミックな立場から、博士課程卒業者を採用する企業に期待することはありますか?
田口これも先ほどの内容とやや被りますが、私から見ると日本企業は博士号取得者のポテンシャルを活かしきれておらず、それで学生から見ても博士課程に進むと就職が不利になるので進学しない、という良くないループが回っていると思います。その結果、博士課程進学者が減って、研究に携わる人も減っていくという悪循環が起きている。それを解消するには、企業での博士号取得者の活躍が広まり「是非、博士課程に進学してください。そして当社に就職してください。」と、たくさんの企業に言っていただけるようになれば素晴らしいと思います。
── なるほど、そういう風になれたら素晴らしいですね。そういう明るい未来が実現するように弊社も頑張っていきたいと思います。今日はありがとうございました。